◇計画停電八日目。愚痴ぐらい言わせてほしい。
2011-03-23


2011年3月22日火曜日 計画停電八日目。

七日目の昨日月曜日は春分の日で、停電は一日中止。
22日の今日は、第1グループの私の地区は午前中9時20分から13時の停電だった。
午前に停電がある日は、一日に二回停電がある場合もあるが、今日は停電は一回だけだった。

今日の停電日記は、首都圏住民の今の生活を吐露した愚痴だから、見たくない人は文末の停電スケジュールだけ見て、あとはスルーしてほしい。
でも、首都圏の一市民が、困惑しながら生活していることも、ちょっとは知ってほしいのだけど。


昨日から少し体調が悪く、身体を暖めたいが、停電中は暖房が使えない。
給湯も電気を使うので、お風呂にも入れない。
このままだと、救急ではこばれるような状況になる危険が高まるので(冷えの症状がすすむと、腸閉塞を起こしやすくなる。今までそれで数回入院している。持病ではなく体質なので仕方がない)、カイロを使うがなかなか身体が暖まらない。
具合悪いし布団に入っているのが一番だ、と思っていたら夕方まで寝てしまった。

「今の自分に何ができるだろう」ということを考えすぎて、停電のことや物が思うように買えないことなど、思った以上にストレスになっている。
具合が悪いときは気にしなければいいのだろうが、節電を意識するとストーブすらなかなか使えない。
義援金は送ったけど、被災地に行っても私みたいな病人は足手まといになるだけだ。
「私はなんにもできない」という無力感が、心をいっぱいにする。

友達のブログを見ると、そんなことを考えているのは私だけではない様子。

文句をいっても仕方ないし、ライフラインも確保でき自宅で普通に生活している私たちは、多少被災したとはいっても「被災者」ではない。
被災したけど被災者ではない私たちは、「なんちゃって被災者」かなと思う。

もちろん、みんな計画停電に協力したり、節電したり、物を買いすぎないということは実践している。
でも、そんなことはやって当然で、この「当然」以外のことを何かしなければならないのではと、気持ちがあせってしまう。
避難所にいる人たちや、大きな被害を受けた人は、もっと辛い思いをしていると思うと、私たちが受けている不自由などたいしたことではないと思わないといけないと思わないといけないと思わないといけない……

私もそのうちの一人だ。


買い物をしていても「買占めするな」と怒号がどこからか聞こえて、たくさんかごに物を入れているお母さんが困惑している。彼女の家は大家族なので、普段の買い物もかごにいっぱいになる。たまにこうして誤解されるのが困るらしい。

うちでも旦那に「早く帰ってきてね」と言ったら、ふだんはやさしいイケダンなのに「毎日そう思って努力しているだろ」と怒られた。
地震前なら慣用句だが、余震も続いているし、停電もあるし、会社に行くお父さんは家のことが気になるらしい。
「じゃあ、毎日お土産買ってきてって言って買ってこなかったら、罪悪感感じるの?」と聞いたら、それはまったく感じないらしい(勝手な話である)。

なんとなく、街中がギスギスしている感じ。
油断していると泣いてしまう。


通勤に片道50キロを移動する旦那は、21日の春分の日も出勤だった(もともとそういう会社)。
停電のなかった昨日の帰り道、道はまるで深夜のように車が走っていなかったようだ。
家にいても、ここ数日昼間も車の音は少なく、たまに米軍の輸送機がゆっくり移動していく音が上空で聞こえる。
帰り道、家々に灯っているはずの灯りもまばらで、まるで人がいないようだったと旦那は言う。
今まで人のいない部屋でも電気がついていたり、玄関の外灯をつけていた家庭も、今は電気を消している。

この時期に出没する、夜中に爆音たてて前の道をチキンレースする馬鹿野郎達も、さすがにこの状況では車で遊ぼうとは思わないらしい。


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