◇再考 Who's Next - The Who
2013-09-17


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Who's Next / The Who (1971) 四重人格(Quadrophenia) / The Who (1973)


ここ2年ばかり、The Whoばかり聞いている。
The Whoを聞くようになったのは、もともとThe Jamからの後追いである。
The Jamは今でも大好きだが、最近よく聞くのはThe Jamが影響されたといわれる音楽の方が多い。
The Whoもその一つだ。

先日The WhoのPete Townshendの著作「Who I am」を読み、改めてThe Whoのアルバムが全部聞きたいと思ったのだが、The Whoの再発物のデジタルリマスターだとか、SHM-CDだとか色々ありすぎてわからなかったりする。
それに、最近の再発物はボーナストラックの方が多かったりして、中にはマニアには垂涎物の楽曲もあったりするのだが、純粋に当時のアルバムをそのまま楽しみたいと思ってなかなかかなわなかったりする(パソコンでデータを落として、オリジナルの楽曲だけ抽出して聴くのがベストか)。

個人的なThe Whoのベストは「四重人格 (Quadrophenia)」だ。
これは1979年公開の映画『さらば青春の光』を田舎の映画館で2年遅れで1981年に観て感化され、毎日のように擦り切れるまで聞き、ジミーと一緒にバイクで崖から落ちるのを何度も繰り返した、人生のベストの一つにあげられるアルバムである。
The Whoのアルバムを最初にきちんと聞いた作品であり、アルバム単位で一つの作品として聴くことの意味を教えてくれたものでもある。
映画のサウンドトラックよりも、こちらの方がより映画のワンシーンワンシーンをイメージすることができ、ヘッドフォンで大音響で聞くとすぐに作品の世界に今でも耽溺することができる、まさに“青春の光”なのだ。

「四重人格 (Quadrophenia)」の次に私が出会ったThe Whoのアルバムは、「四重人格 (Quadrophenia)」の2年前に発表された、「Who's Next」だった。
84年のことだったと記憶する。帯広の小さな中古レコード屋で1500円で購入した。この時、古井戸の「さなえちゃん」のシングルレコードも一緒に購入している。

「Who's Next」を聞くまでは、期待と不安が入り混じっていた。
Keith Moon亡き後のThe Whoはあまりパッとしなくて好きではなく、Keith Moonがいた頃の脂の乗ったThe Whoが聞きたかった。
しかし、当時ロンドンパンク以前のロックはオールドウェイヴと揶揄されており、ニューウェイヴやパンクに慣れた耳にはもったりと重く感じ、その頃はあまり好んで聞くことはなかったからだ。
巷はニューウェイーヴ一色な時代。
私の感覚もニューウェイヴ的だったようで、最初の感想は「古臭い」としか思えなかった。
70年代的な重たいイメージのまま、「Who's Next」は30年間封印されることになってしまった。

「Who's Next」が71年、「四重人格 (Quadrophenia)」は73年なので、時代的にはどちらも同時期であるのだが、「四重人格 (Quadrophenia)」が大好きだったのは、やはり映画の影響が大きかったせいでもあるだろう。
今、The Who全体の楽曲を聴くと、「四重人格 (Quadrophenia)」よりも「Who's Next」の方がThe Whoらしいと感じる。
でも、当時「四重人格 (Quadrophenia)」を毎日聞いていたのに、なぜ「Who's Next」は受け付けなかったのだろう。
「Who's Next」は70年代初頭に実験的作品だったせいか、シンセ音楽が浸透しきった80年代にはダサく映ったのだろうか。
映画作品として企画されたにも関わらず、結局それが実を結ばなかったため、「Tommy」と「四重人格 (Quadrophenia)」の間にあって、ロックオペラ的な観点で観ると中途半端な完成度であることは否めない。
そういう中途半端さが、完成された感のある「四重人格 (Quadrophenia)」は大丈夫で、「Who's Next」はダメという感覚だったのだろうか。

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[演劇・映画・音楽・美術]

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