2011-04-05
2011年4月4日月曜日 計画停電二十一日目。
3月24日の停電以降、ずっと計画停電は実施されず。
暖房需要が減ったことと、火力発電所が動き始めたからとの理由だった。
停電がしばらくなくなったことで、停電が自分の気持ちにかなりの負担になっていたことを知る。
停電になれば、お店も美容院も病院も営業しない。その時間だけというところもあるし、停電が日中に行われる日は営業そのものがなくなるところもある。
停電も朝方や昼ならいいのだが、旦那の帰宅時間に停電時間が重なると、帰路の半分くらいは信号がストップしているので、事故が心配で落ち着いていられない。
一人、真っ暗な中で心配しながら帰りを待つのは、精神的にも良くない。
そういう夜から開放されるということだけでも、計画停電がない期間が続くのは嬉しい。
先週に、自分の状態があまりにも不安定なので、パソコンをつけるのを辞めた。情報が多すぎて、自分で処理しきれなくなったからだ。
友達から携帯に心配のメールをいただいたりもしたが、その返事を入力するのに数時間かかる。状況を伝えようとするとものすごい長文になり、かといって「大丈夫、心配しないで」と配慮できる状態でもなかったらしい。
後で自分の返信を見て、あまりのひどさにさらに落ち込んだりもした。
一週間近くパソコンをつけなかったことで不便も感じたが、特に支障はなかった。地震以来仕事は入れていないし、パソコンをつける必要性もない。
停電もなかったし、必要な情報も必要でない情報も入らないことは、不安よりも開放感の方が大きかったかもしれない。
それでも、テレビのニュースは見ていたので、情報を完全に遮断していたわけではない。
どんどんと露呈される東電の事故対応の鈍さと、日本には本当の意味で原子力設備の専門家などいないのだろうか、という気持ちがいつもテレビの前にあった。
毎日テレビに出てくる原子力の専門家や、私たちがつくばで出会った原子力関連の研究者など、こんなときに何故知恵を出すような動きがないのかが不思議だ。
水を止めるのに、吸水性ポリマーと一緒におがくずと新聞紙というお粗末な顛末を見て、「順番が違うだろう」と家の中で怒号が響く毎日だ。
しかし、避難所の様子や被災者のドキュメントなどは、平静に見ていることができない。旦那も「最近、ああいうのを見ると涙が出てくる」という。
自分は被災していないつもりでも、実際に地震のゆれを感じ、地震の影響を生活に受けている私たちの気持ちは、阪神淡路や中越、奥尻島の地震のときとは明らかに違う。
被災の現実感と中途半端な距離が、心のバランスにつながっているような感覚。
こういう気持ちでいるのは、私たちだけではないような気がする。
阪神淡路のとき、私はパソコン通信(インターネットの前身のネット環境)のチャットをよく利用していて、そこでよく会う人の中には関西の人も多かった。
当時、関西の人たちは関東で地震などがあると、口をそろえて「関西は地震が少ないから、よくわからない」と言い、中には顰蹙を買う人もいた。
しかし、阪神淡路大震災の起きた後、当然のことながら状況は一変した。
つい先日まで「地震の怖さをわからない」と言っていた人も、地震がいかに怖いか、あんな大きな地震は体験してみないとわからない、というようなことを言ったりしていた。
中には、地震のオーソリティみたいになっている人もいて、関東の地震の多い地域の人から失笑を買ったりもしていた。
それでも、どうしても、あの恐怖を伝えないではいられない、という感じだった。
時間が経って、被害の大きかった地域の人がネットに戻ってきたとき、地震のことを聞いても「大変だった」「怖かった」とは言うが、あまり多くを語ろうとする人は少なく、被害の大きかった地域の人たちよりも、その周辺の人たちの方が地震の恐怖について語ることが多かった。
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