2011年4月8日金曜日 計画停電二十五日目。
前日の4月7日は、自治体の防災有線が、計画停電について二度情報を流した。
お昼頃の放送では、明日も計画停電を行わないということ。そして、夕方暗くなってから、計画停電を10日まで行わないことを放送した。
その深夜、やっと電気や水道が通り始めた東北を、再びM7.4という地震が襲った。
それまでの余震だと、神奈川あたりでは体感しているんだか判らないくらいだったのが、この日の地震ははっきり横にゆれて、窓ガラスがゴトゴトと音を立てていた。
そして次の日の、4月8日に東京電力と政府は、実質6月3日まで計画停電を行わないことを発表した。
『計画停電の原則不実施と今夏に向けた需給対策について』
平成23年4月8日 東京電力株式会社プレスリリース
[URL]
『東電、6月3日まで原則打ち切り 』
2011.4.8 12:09 MSN産経ニュース
[URL]
3月14日から開始された計画停電で、私の住む第1グループで実際に停電になったのは10日ほどのことだ。
今振り返ってみると、停電や節電自体はたいしたことはないのだが、あの大きな地震の後の不安の中の停電というのは、不安ともなんとも説明のつかない感情に支配されていたような気がする。
その感情が今はなくなったかというとそうでもなく、感情の起伏が激しかったり、被災地の情報を直視できない状況は今も続いている。
そういう精神状態の中での停電は、苦痛だった。
みんなが「自分のできること」を探している中で、「自分のできること」を強制されているような気がしたりもした。
ACの「今、わたしができること」というCMも、なんだか「できること」ではなく、「しなければならない」「しないのはおかしい」みたいな風潮に代わってきて、自分が本当にできることってなんだろうと考えることすら嫌になっていった。
いまだに避難を強いられている人たちがいて、停電はあっても普通に生活できている自分が、こんな風に思うこと自体がだめなことなのではないかと思ったりもした。
でも、停電がしばらくは行われず、夏場のピーク時の電力確保については、様々な人が様々な見方はしているけれども、とりあえずは、暗い部屋で不安な気持ちで過ごす日々からは開放されるようだ。
地震自体はまだ予断は許さず、今回の地震で別な地域での地震の懸念なども、新聞などで目にするようにもなってきたが、とりあえずは自己の情報統制を続けることで、少し落ち着いた気持ちで過ごすことができるのではないかと思う。
もし梅雨時期に、やはり計画停電を行うということになっても、次回は今のような気持ちではなく、停電自体を楽しめるくらいの気持ちになっていたいと思う。
地震や計画停電が、自分にこんなに大きな影響を与えるなんて思ってもみなかったので、最初は停電という未曾有の経験を記しておけたらという気軽な気持ちから書き始めたのだが、それがそれだけにとどまらなくなってしまったことに、自分自身戸惑いを感じた。
しばらくは、停電という自分の生活に直結した問題とは離れて、考えることができればと思う。
これを書いている4月10日日曜日、統一地方選挙の投票日だった。
投票会場で選挙公報を眺めながら、最後まで誰に入れるか逡巡した。
誰も投票したと思う人が、いなかったからだ。
投票所の横のポスター掲示板の前には、ぶつぶつと独り言を言う若い男性がいて、10分以上迷っている様子だった。
私たちもさんざん迷って投票した。
私が投票した人は、知事も県議も落選したようだったが、かえってこんな気持ちで投票した人に当選してほしくないとさえ思っていたので、内心複雑な気持ちだった。
帰宅して日本経済新聞のWeb版を読んでいて、こんな記事を見つけた。
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