◇帯広Docco-InnおよびPICOのスパゲティ
2010-01-07


とんねるずの「みなさまのおかげでした」で、石橋がスパゲティのことを「ゲッテイ」と呼ぶのを聞いて、パスタとスパゲティの違いについて考えたりしていた。
正しくは、パスタはイタリアでの小麦を使用した麺などの総称で、スパゲティはそのひとつの種類であることは知っている。
しかし、石橋はそういうことを言っているのではないだろう。

70年代、日本でのスパゲティといえばママーで、麺の太さは一種類、そして料理はナポリタンかミートソースと相場は決まっていた。
我が家では、ナポリタンよりミートソースが圧倒的に多かった。
作る手順としては、ゆでたスパゲティをうどんのごとく水で洗い(ぬめりをとると言っていた)、油をひいた鉄板かフライパンで炒めた後、なんらかの味付けがされたり、ソースがかけられたりするのだった。
具が入る場合は、麺を炒める前に具をあらかじめ炒めてから麺が投入される。
ポイントは、「麺を炒める」というところである。
当時、私は友達にも聞いたりしたのだが、私の周辺にいる友人の家でも、「スパゲティは炒めて食べる」というのが主流だったように記憶する。
スパゲティは子供に人気のメニューではあったが、まだまだ本格的に作るというよりは、新しい洋風なメニューが登場してそれにチャレンジくらいの感じだったのだろうと思う。

80年代に入り、友達と喫茶店などに入るようになって、外でスパゲティを食べる機会が多くなった。
子供の頃は「スパゲティといえばナポリタンかミートソース」だったのが、あちこちでたらこスパゲティだとか、醤油味などいろいろな味のバリエーションが増えだしてきたが、「麺を炒める」という基本的なところに変わりはなかった。
また、喫茶店などでは厨房がせまいところも多かったせいか、お客さんの少ない時間帯に大きな寸胴で大量のスパゲティをゆでておき、それを冷蔵庫に保管して、注文が入ったときに炒めて調理する方式が大多数だったように思う。
「麺はゆでたてが一番」が常識の今であれば、「麺をゆでて保管しておく」なんて考えられないことだが、昔はこれが一般的だった。私が後で勤めたいくつかの喫茶店でも、同じようなことがしばらく行われていた。

私が1984年くらいから通っていた広小路にあったDocco-Innとカジノビルにあったピコは、同じオーナーの「O川珈琲店」の姉妹店であったので、メニューの内容はほぼ同じものだった。
ここのスパゲティのメニューは、独自のレシピでいくつかのソースが自慢だった。
ナポリタンなどの定番のものもあったが、納豆ののった醤油味ベースのジャポネや中華風のチャイナなど、独特なメニューが多かった。
しかし、ここでもスパゲティは当然のごとく「炒めた」ものであった。
ジャポネやチャイナも、ソースは上からかけるのではなく、ナポリタンのように麺に絡めて炒めてあるものだった。

納豆ののったメニューはピザもあり、納豆とチーズのミスマッチのマッチングがなかなか絶妙だった。
スパゲティのジャポネは人気メニューだったが、ピザのジャポネはある種ゲテモノ的な印象を受けていたので、これを注文するのはなかなか勇気のいることだった。でも、一度食べるとやみつきになる。
私がピザのジャポネを初めて食べたとき、ピコのカウンターでオーナーのO川さんが「これ、おいしいでしょ」と独特の語り口調で顔を近づけてきたのを、強烈に記憶している(かなり嫌な記憶ではある。でも美味しかったのは事実)。

帯広の他の喫茶店に多く行っていたわけではないので詳しいことは知らないが、たらこスパゲティが美味しい店、ホワイトソースが自慢の店など、帯広には当時独自のレシピを売りにする店が多かったように思う。
そんな中でも、Doccoとピコのスパゲティは、他にはないオリジナリティがあった。

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