2008-06-21
これは、私がなぜ化学調味料を嫌いになったかを書いた自分のための覚書です。最初に
『◇化学調味料とわたくし〜味の素編〜 』
『◇化学調味料とわたくし〜ほんだし編〜 』
を読んでからお読みくださいm(_ _)m。
食卓の上で醤油皿に化学調味料を入れる入れないで争っていたのとは次元が違い、すでに調理の段階で化学調味料が味の基本となってしまったら、いくら嫌だと言ったところで子供にはどうすることもできない。
その後、味噌や醤油などの調味料にも当たり前のように化学調味料が使われ、ダシがもともと入っているから美味しいなどと、いろいろな形で知らず知らずのうちに化学調味料を摂取するようになったので、私自身個人的に食卓で化学調味料をとらなくっても、「頭の良くなる食べ物」を自動的に摂取せざるをえなくなってしまったのだった。しかも、本人がそのことを知るのはずっとずっとずっと先のことなのだ。
その後私は貧乏だった。あまりに食べられず、栄養失調で職場で倒れたこともある(1980年代半ば)。この頃は、食べ物に化学調味料が入っているとかいないとかそんなこと考えてる余裕もなかったし、とにかくお腹が膨れればなんでもよかった。一日に一度、まるちゃんのダブルラーメン(東洋水産北海道限定商品。一袋に麺がふたつ入って、一袋分の値段とほぼ変わらないという画期的商品。当時は醤油味しかなかったが、今はバリエーションが増えているらしい)が食べられれば幸せだという毎日に、化学調味料云々を語る余裕はないのだ。
そのうち結婚したある日恐ろしいものが届いたのが、我が家で食品添加物、特に化学調味料に関することを考えるきっかけになったのだった。
姑がバイトをしたからと言って、数袋に分けたC級品の昆布を毎年のように送ってくるのだ。
ある年は根昆布のときもあるし、ある年はきちんとした昆布のときもあった。
当時の私は、化学調味料のことに無頓着だった。味の素の類はなかったが、あれほど嫌っていたほんだしを使用して毎日調理していたし、それが普通だと思っていたのだ。
当時私は、昆布などどう料理していいのか判らず、また母に聞いても昆布自体を料理する機会など正月くらいしかないので、昆布巻きや佃煮くらいしか思いつかず、姑に聞いてもやはり昆布巻きにするくらいしか思いつかず、結局数年間放置していた。
C級品とはいっても立派な利尻昆布である。昆布巻きにするにはでかくて厚くて大変だし、ただ佃煮にするにはもったいなさすぎる。
最初は昆布でだしをとって味噌汁を作るところからはじめたのだが、これだけ立派な昆布をただだしだけに使うのはもったいない。かといって、佃煮にしたりしても食べないだろうから、だったら小さくして味噌汁の具として食べちゃえということになったのだ。これが我が家ですでに10年近く続いている。
だしをとるといってもただ漬けておくだけである。
最初は一晩漬けていたのだが、私も当時は外で働いていて用意できないときもあったりする。
そのうち、はじめからお湯につけておけば短時間でだしが出ることに気づき、小さく切った昆布をお湯に10分ほど漬けておいてそのまま煮てしまうというのが現在の定番となっている。料理の本などを見ると、「昆布は鍋の中で長く煮ると、昆布の臭みが出る」と書かれているが、慣れてしまえばまったく気にならないし、料亭で使うみたいに一枚10cmくらいはありそうな立派な昆布を使うわけではないので、友人が来たときに聞いたりもするが、つけっぱなしでも臭いは気にならないそうだ。
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