◇バイクになった鹿の思い出
2008-02-22


ある日突然、ぱっと頭に昔の記憶がよみがえることがある。そのときだけでまた忘れてしまうことも多いのだが、ずっと忘れていたのに思い出したとたんに頭から離れなくなってしまうこともある。
「バイクになった鹿」の思い出は、ずっと忘れていたのにある日テレビを見ていたらぱっと頭によみがえり、その後ふっとまた思い出すということを繰り返しているのだ。そのテレビがどういう内容だったかは、すでに覚えていないのに。


この思い出は、鹿が実際バイクになったという話ではない。
二十数年前のある日、私は20年来の旧友Kと帯広の西二条通りを、広小路の西一条八丁目にあったD・Iという喫茶店に行くために歩いていた。
広小路に入り歩道のわきに停めてあったバイクをふと見ると、一台のバイクのシートに唐突に石が置いてあった。
石はそのへんにあるような小さな石だったし、バイクも特に変わったバイクというわけでもなかった。
しかし、街中で石を見るというのも唐突だったが、なぜ石がバイクのシートに乗せてあったのか大変不思議に思え、私たちの目はしばらくそこに釘付けになった。
シートが汚れないために何かかぶせてあり、それを止めるために置いてあったのが石だけ残ったのかもしれないし、道端に落ちていた石を誰かが無造作にバイクのシートにのせたのかもしれない。
いや、もしかしたら何かの目印かもしれない。誰かがバイクの持ち主に合図するためのものかもしれない……。
と、私たちの想像は膨らんでいく。

D・Iに到着するまでの間に、「あれはもしかしたら封印かもしれない」という話になった。もともとあれは鹿で、バイクに化身しているのを元に戻らないよう石で封印しているのだと。

D・Iに到着した私たちは、お店にあったお客さん用の落書きノート(昔の喫茶店には、こういうものがよくあった)に、二人で鹿がバイクに化けた話を交代で書いていき、コーヒーを飲み終えて帰る頃には一大話が出来上がっていた。しかし、どういう理由かは思い出せないが、その話は途中で終わってしまったのだ。

その後私が一人でD・Iに行ったとき、ある顔見知りの常連さんに「あの鹿の話の続きはないの?」と聞かれた。最初はなんのことかわからなかったのだが、落書きノートに書いたその話が常連さんの間で小さな話題になっていたらしい。話をKと二人で書いているときにそれを見ていた従業員が、私たちが書いたものだと話したらしいのだ。
後で再びKとお店に行ったとき、その従業員が「あの話の続きが楽しみなのに」と私たちに言ったのだが、その話に対するテンションは二人の間ではすでに終わっていたので、想像力も尽きていたのかもしれない。結局私たちがその話の続きをノートに書くことはなかった。


と記憶はここで終わっている。
私が気になるのは、あの話がどんな内容だったかなのだ。話の大筋は覚えているのだが、ノートに書いた物語の詳しい筋は覚えていないし、D・Iはすでに閉店しているのでそんな昔のお客様ノートが残っているとも考えにくい。一緒に書いたKがこの話を書いたこと自体覚えているかどうかは不明だし、たとえ彼女が覚えていたとしても、確認したところで昔話に花が咲く程度のことで、どうということはないのだろうとも思う。

ただ、なんとなく思い出して確認する術のないものが、ちょっと気になるだけのことなのだろう。
それでも、この思い出自体はなんとなく私の中ではいい思い出だったりするのだ。
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