2008-02-07
去年を象徴する漢字は「偽」だったが、この文字が意味するところは、食品業界に関する信頼が失墜したことだと思う。
店頭で販売している食品に、表示とは異なる混ぜ物がされていたり、最近では餃子に明らかに食品には使用されない毒が混入していたりしたわけだ。
食品の安全性が指摘されて久しいが、こうなってくると安全な食べ物を求めてパッケージに表示されている原材料や食材の原産国などを気にして見ても、まったく意味がないのだと思い知らされる。
今回の毒入り餃子の事件で、ひき肉と餃子の皮の売上がアップし、出来合いや冷凍の餃子の売上が落ちたと報道されているが、餃子の皮だって結局は出来合いだし、ひき肉だってなんの肉なのかが信用できなければ、結局同じなんじゃないかと思ったりするのだ。
今回の事件のように明らかに毒であるものは毒と認識されるが、添加物なんかは毒じゃないのかと思ってしまうと、何も食べられなくなってしまう。
数年前からできるだけ食品添加物の使用されていないものを食べたいと思うようになり、味噌汁のダシも昆布や干ししいたけ、にぼしなどで取り、肉もひき肉などは買わずに塊で購入して自分で加工するようにしているが、それでも食生活からまるっきり添加物を切り離すことは難しい。食品添加物を気にしだすと、本当にきりがない。
最近、スーパーなどに行っても、見るもの見るものが美味しくなさそうに見えて仕方がない。昼食など面倒くさくてコンビニの弁当売り場に行っても、ちっとも食べたいと思わないのだ。
食品添加物に気を使っているとはいっても、やっぱりたまにはカップ焼きそばのチープな味を食べたくなったり、面倒なときにはレトルトのカレーだって食べる。以前はそれはそれなりにチープな味わいが美味しいと思ったのに、最近はちっとも美味しいと思えなくなってしまった。
美味しいものを食べるのは大好きだ。気力があるときは、何時間も肉を煮たり、何日も味噌やヨーグルトに漬け込んだりすることもいとわない。美味しい食材を売ってるお店があれば懇意にするし、外食するのも大好きだ。
でも、食材そのものの信頼が揺らいでしまうと、なにもかもが美味しくないように思えてしまうのは本当に悲しい。
食品添加物が使われていようが、食材が外国産のものであろうが、その表示が正しくて、そのものを納得して食べることができれば、何も問題はないのにと思う。
食品業界の問題は家庭の食のあり方の問題でもあると思う。ふだん食べているものの素性や中身に無頓着で、事件があれば気にするけれど、のど元過ぎれば熱さを忘れてまた同じことの繰り返しというのが、日本の食をどんどんおかしくしているような気がしてならない。
神経質になる必要はないけれど、ふだん自分達がどんなものを食べているのかを少しだけ気にするだけで、だいぶ違ってくるような気がするのだが。
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