◇柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言に思うこと
2007-02-01


日本の政治家が、女性を蔑視する発言をするのは、たいしてめずらしいことではないと思うが、この手の発言を聞くたびに、「この人はいったい誰から産まれてきたのだろう」と思ってしまう。
人間に限らず、生物のほとんどはメスから生まれる。卵生の生物でさえ、その卵はメスの身体から産まれてくる。そうでないのは、一部の雌雄同体生物か、菌類とか単細胞生物くらいのものだ。
ことに出産などに関することで、女性を蔑視する発言をするということは、自分の奥さんや母親、子供さえも侮蔑することであるということに、なぜ気づかないのだろう。それとも、この手の発言をする人というのは、粘菌みたいに細胞分裂か何かで派生した生物なのか? だったら妖怪人間じゃないか。

今回の柳沢厚生労働大臣の発言を逆手に取って考えると、人が機械的に産まれてくるのであれば、その機械を統括している政府は、自国の機械に対してそのケアをする義務を負っているはずであると思う。
ニュースやワイドショーを見ていると、少子化問題に対して産んだ後のケアについてばかり焦点をあてていたが、その前のケアに関してだって日本政府は何もしてきていない。

不妊に悩む人(男女限らず)も少なくない中、不妊治療の多くは保険適用外だ。それでも子供がほしい人は、気の長くなるような時間の中で、苦痛を伴う治療を行い、それに法外な金額を支払っている人も少なくない。治療をすれば妊娠の可能性があるけれど、お金がなければその治療もできないような仕組みになっているのが、今の日本の不妊治療の現場である。治療に伴う苦痛はいたしかたないものだとしても、金銭的余裕がないために治療を断念する人は少なくないはずだ。
このことは、ずいぶん以前から問題になっているはずなのだが、それについて十数年前と現在でまるで状況が変わることはなく、改善が進んでいないということは、責任範疇にある機械に不具合があり、直せば使用できるものを放置していることになるのではないだろうか。

これまでも政治家による子供を産まない(産めない)女性に対する侮蔑発言は多々あったが、何もケアせずに放置している事実をどう受け止めてそんこなとを言っているのかと、はらわたが煮えくり返る思いだった。
政府の要人でありながら、自国の人間を機械と呼び、まるで子供を産まない女性は一分の価値もないような発言をするのは、まるで軍国主義の日本で産めよ増やせよと言われた時代のようだ。古い時代、特に戦争中には子供を産めない女性は石ころのように扱われた。財産を奪われ、家を出される人さえいた。戦争末期、子供を産む産まないに関わらず、女性にさえ最終的には竹やりを持たせた政府に、いまさら子供を産めない女性をどうこう言う権利はないはずだ。
少なくとも、こんなことを言う政治家の多くが、そういう時代の女性から産まれてきたということを、ただの一瞬でも忘れてほしくない。

ワイドショーのコメンテーターとして出演していた女性が、「ごめんなさいというくらいなら、きちんとした落とし前をつけてもらわなければ、機械的な謝罪の言葉だけではおさまる問題ではない」と言っていた。
この問題で、野党は閣議を放棄しているが、この問題は何も自民党だけの問題ではないはずだと思ったりする。柳沢大臣が辞めたからといって、この問題が解決したことにはならない。「機械発言」が問題なのではなく、「機械発言」に伴う状況が問題なのだ。これらの問題を長い間放置してきた野党にだって、責任の一端はあるはずだ。
野党が閣議放棄し、柳沢大臣の更迭問題が自民党の中で「愛知の選挙の結果を見てから」という意見が出されていること自体、女性に限らず自国民を「機械」くらいにしか思っていないことの現れではないかと、ニュースを見て思った。
[ふざけるなよ!]
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