◇東日本大震災より三年目
2014-03-12


それが原因なのかどうかは確かめてはいないが、日本で報道されているのとは違うクオリティと内容の情報が流布されていることで、日本の食べ物はまだまだ危険であるという判断がなされているのだろうと思ったりもする。
日本の食べ物は優秀だが、わざわざ日本の食べ物を利用するだけの理由がなければ、再び輸出再開までこぎつけるのは難しいだろう。
それは商売においては普通のことだろうと思う。

私の友人のドイツ在住のご夫婦は、定期的に来日される。
震災のあった日も来日されていて、電車の中で地震も経験された。奥様は日本人だが旦那様はドイツの方なので、ショックは大きかったようだ。
その後もご家族の関係で定期的に来日されているのだが、それまでは親日家という印象のあったお二人が、あの日を境に日本に対する意識が変わってしまったのを感じる。
特にドイツ人のご主人は未だに被災した時のショックがあるようだが、それ以上に日本の食べ物は危険であるということが端はしに態度に出ているのが悲しい。
ご本人はその意識があるのかないのかは判らないし、何より私たちを悲しまされるためにそうしているわけではないことも重々承知だ。
ただ、私たちも震災にあったショックもあるのだろうと震災後ずっと黙って聞いていたが、あまりにもそれが頻繁で、しかも嫌悪感を持って食に対峙されると、それを日常的に食べている私たちさえも汚いものであるように思ってるように感じてしまう。

そのきっかけは、今年の正月に来日されてお会いしたときのことだ。
友人夫妻は、来日すればだいたい一ヶ月は滞在されるが、先日は帰国する直前にお会いした。
食事に誘われたので出向いたのだが、いざ会ってみると旦那様が野菜を食べたくないと言っている。
食に関しては年配のわりには偏食の多い人たちではあるが、野菜を食べたくないと言われたのは初めてだったので、彼が日本の野菜に対して震災後はずっと神経質になっていることを思い出した。
野菜を食べたくないという彼があまりにも疲れた様子だったので、私が手を差し伸べると、瞬間的に振り払われてしまった。私としては、その態度が「汚いものを食べている汚い存在に対する瞬間的な態度」のように思えたのだ。
彼に差別的な意識があったかどうかは判らないが、私は自国で友人に差別的な感情をぶつけられたような気がしてひどく悲しかった。

私たちはここで生活をしなければならないし、日本のどこへ行っても放射線汚染の脅威や地震の恐怖は変わらない。
食べ物に関してだって、信じなければ生活できないから情報を基に選択しているだけで、東北の食べ物を食べていてもいなくても、不安でないわけではないのだ。

ドイツの友人のことを別な日本の友人に話すと、その人の更に別な友人でしょっちゅうイギリスに行く人の話を聞かされた。
イギリスでは戦争で敵国だったせいもあり、もともと日本人に対して差別的な意識を持っている人もいるのだけど、その要素に放射能というのが加わったとの話だ。
差別意識なく親切にしているつもりの会話でも、日本は放射能で汚いからイギリスはいいでしょうというような言葉があって、ちょっと返答に困るという話を聞かされた。

もちろん、日本の現状を理解しようと積極的に日本に来て、ボランティアに参加したり日本との交流を図ろうと働きかけてくれる外国人が多くいることも知っている。
ロシアのフィギュアスケートの大会で、日本の災害に対して黙祷を捧げるセレモニーを用意してくれたように、たくさんの国が日本の現状を心配してくれていることも知っている。
私のドイツの友人や、友人の友人がイギリスで会った人も、悪意を持っているわけでもないのだろうとも思いたい(イギリスの例は、日本でもこんなことを言う人はいそうだし)。

ただ、文化も常識も違う交流の中では、様々なすれ違いが生じ、それが基で小さな軋轢も生じることもあるように思ったりする。

続きを読む
戻る
[日常]
[神奈川]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット