◇ドナ・サマー、ビージーズ ロビン・ギブの訃報
2012-05-22



The Bee Gees 映画「小さな恋のメロディ」 Melody Fair

そんなビージーズが、1971年の「小さな恋のメロディ」という映画の中で、「メロディフェア」という曲を歌っていたのを知り、その曲を聴いたときはちょっとびっくりした。メランコリックな曲調に彼らの声がマッチして、とても美しい曲だと感じたからだった。
この曲は私の嫌いなファルセットヴォイスでは歌っていないし、彼らのハーモニーがとても美しく、聞きやすかったのだろうと思う。

空前のヒット曲となった「ステイン・アライブ」と「サタデー・ナイト・フィーバー」は嫌いだったが、「メロディフェア」は好きになった。
今聞くと懐かしさの方が先にたっているので、そんなに耳障りには感じられない。当時の時代を象徴する曲であったことは確かだし、嫌いだった曲だけど懐かしい。


ビージーズの曲が空前のヒットで毎日ラジオで流れる中、黒人のディスコクイーンであるドナ・サマーの大ヒット曲「ホット・スタッフ」が北海道のラジオでもかかるようになり、一時ラジオはディスコソング一色になっていく。
ディスコソングがあまり好きでなかった私には、歓迎する状況ではなかったが、ドナ・サマーの曲は好きだった。
当時の黒人女性歌手の多くは、アレサ・フランクリンのようなゴスペル風か、ティナ・ターナーのような力強い歌い方の印象的な人が多く、あまりに力が入りすぎていて、私は苦手だった。
でも、ドナ・サマーの歌は適度に力が抜けていて、とても聞きやすかった。聞きやすいといっても、彼女から黒人シンガーのパワーを感じなかったわけではない。当時、どこか押し付けがましささえ感じていたリキミのようなものが、彼女の歌からは感じられず、楽しく踊る歌というのが一番に感じられて好感が持てた。

当時は、ビージーズ以外はアバやオリビア・ニュートンジョンなどのポップスグループのヒット曲が主流だった。それまで苦手意識がった黒人音楽だったが、ドナ・サマーの登場で、その他の黒人ミュージシャンの曲もラジオで聴くようになった。いわば私の黒人音楽の入門的な人物だった。

1990年代に入り、ダンス・ミュージックの様相が一変するにしたがって、彼女のニュースも耳にしなくなり、そのうちその存在もだんだん薄くなってしまっていたが、彼女がやはり一時代を築いた人物であることは否めない。
彼女が亡くなったことで、あの時代を思い出す人は多いようで、例えマスコミの扱いが淡白だったとしても、人の心の中にはしっかりと根付いているのがネットでわかった。
これも時代の表れなのかもしれないと、やっぱり感慨深くなってしまう。

彼女が亡くなったというニュースを聞いて、彼女の一番のヒット曲「ホット・スタッフ」をYouTubeで聞いてみたら、私はとてつもない間違いに気づいた。
この曲のサビのところの歌詞を、「アイ ニード “マッチョ”」と言っているのだとずっと思っていたのだ(ビデオの1分10秒すぎくらいの箇所)。
当時、マッチョという言葉が流行りだした頃で、そういう要素が入っているのだと勝手に思っていたのだった。これも、小学校高学年〜中学生女子の勝手な妄想である。
真実は、この曲のタイトル「HotStuff」と歌っているので、ちょっと考えればわかりそうなものだが、今の今まで気が付かなかったのだから、ちょっと恥ずかしい思い出である。

また、この話を旦那にしたところ、「ホットスタッフってどういう意味だろう」というので、真顔で「熱い従業員」と言って笑われた。それは「staff」でスペル違いである。
ディスコソング「熱い従業員」。踊れないかもしれない。

いろんな思い出を残してくれた彼らに、ご冥福をお祈りいたします。

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