事故の間、私たちはつくば市で、ある催しのスタッフをしていた。
ロシアから催しのメインを招いていたため、ニュースが入ったときには、彼らにチェルノブイリを連想させ、パニックが起こる恐れがあった。
私が気づいたときには、どういう経路からか、すでにロシア人は事故のことを知っていた。
ロシア語ができるスタッフでなんとかそのような最悪の事態ではないことを説明し、彼らも納得し、落ち着いて催しを成功に導いてくれた。
地元のボランティアスタッフの全てが、特にあわてる様子もなく、ふつうに行動していたからだ。
しかし、ロシア人も外から来たスタッフも、そしてもちろん地元のボランティアスタッフも、全ての人が、できればその場から逃げ出したかっただろうと思う。
催しに招待していた著名人の一人が、つくばに向かう道中「本当に行きたくない」と、自身のHPの掲示板に書き込みをしていたのを、後で見てショックを受けた。
誰一人として現場で口に出さなかったことを、公の場でこっそり言っていたからだ。
(当時、携帯でHPなどが容易に見られる環境でなかったことを幸いに思う。)
実際その人がつくばに到着したのは、催しが始まるぎりぎりの時間だった。
来たくなければそう連絡をくれればよかったのに、と思った。
到着が遅れていたので、途中で何度か携帯で連絡をとっていたからだ。
事故を理由に欠席したところで、誰もその招待客を非難することはなかっただろう。
それでも招待客が催しに来てくれたことに、地元のスタッフはみんな感謝していた。
スタッフ統括をしていた私は、つくば市よりももっと東海村に近い地域から手伝いに来てくれているスタッフもいる中で、招待客からこんなことを書かれて申し訳なく思った。
そして、こういう状況のときに何もしてあげられず、逆に地元スタッフの「のんきさ」に力づけてもらったことを、今でも感謝している。
私たちがあの時つくばで、どの程度の被爆をしたか、はっきりした数値は今もわからない。
ただ少なくとも、今回首都圏で計測された放射線量が、人体に今直接どうこう影響のある数値でないことは、その後原子力関係の研究者から話を聞くことができた私たちは、何も知らない人よりはちょっとは理解できる(別に詳しいわけではない)。
首都圏で被爆の影響がもしあるなら、政府機関の全てを東京から違う場所へ移管するだろう。
そして何より、「福島に近づくと被爆する」という風評で、物流の途絶えた茨城北部や福島南部にいる被災者の人たちの方が、首都圏にいる人たちよりもずっと不安に思っているに違いない。
福島県南部のいわき市周辺で孤立している人たちは、本当に逃げたくても逃げられないのだ。あのあたりも、ちょうど福島原発事故現場から、40kmかあるいはもう少し離れた場所だろう。
私たちは、つくばで東海村の事故を体験して、今もなんともない。
その直後から、地元の野菜をずっと食べていたが、放射能が影響するような病気にはなっていない。
私の茨城の友達はみんな生きているし、私よりもずっと健康だ。
茨城産・福島産の農産物は、首都圏だけでなく、北海道やその他の地域にも流通していた。それが直接の原因で病気になった人が、今までにどれだけいるのだろうか。
ただ単に、過去にそういう経験をしたからといって、今回が東海村と同じとは限らないかもしれない。
しかし、今は政府が発表する数値と安全基準を、信じるしかない。
そして地図で確認してもらいたい。
東海村は、福島の原発よりもずっと東京に近いということを。
今、茨城と福島南部の避難所にいて孤立して不安に思っている人たちも、できればこの「助け合い」と「のんきさ」を発揮していてほしいと思う。
そして一刻も早く、今の状況から少しでも好転することを、願ってやまない。
☆2011年03月24日補足
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