その中で、その友人が今回の地震で家にひびが入るという大きな被害を受け、友人の実家でも津波の被害を受けた中で、近所や親戚の協力で井戸水を分けてもらえたり、自家発電装置を持っていたことで、ライフラインが回復するまでの間も、悲惨な状況をある程度回避することができたという内容である。
また、その友人とは11年前の東海村の原子力施設の事故の際、現場から40kmあるつくば市で動けない状況にいた。
この記事を書いてから、少し誤解を生む内容であるように思えた。
連絡をくれたくだんの友人からも、少し修正してほしいとの連絡をもらった。
日記なので、その全てを削除することがためらわれたため、二度にわたって書き直しをし、その旨補足で説明をしてきたが、改めて新しい記事として書いたほうがいいと判断し、この記事を書いている。
改めて言い訳すると、この記事で茨城県の全ての人が井戸を持っているとか、自家発電装置を持っており、「被災してもみんなたいしたことがなかったのだろう」という誤解が生じないことを願う。
友人のいた環境は不幸中の幸いで、全ての人がそのような恩恵を受けたわけではない。
また、友人自身も、(私から見て)茨城らしいエピソードを紹介してくれはしたが、被害が小さかったわけではない。
地震のときに家から飛び出した場所に瓦が落ちてきて、あと一歩のところで大怪我するところだったり、一時は死を覚悟した瞬間もあったそうだ。
加えて言えば、茨城県内では、今でも避難所で物流もない状況の中で助けを待っている人たちがいる。
茨城県は南北でその被害に大きな差があり、内陸と海側でも被害に差がある。
すでにライフラインが完全に復活している地域もあれば、食糧も水も燃料も底をつきそうな場所にいる人たちもいる。
たまたま大きな被害を受けた地域の中では、一番首都圏に近く、県内で被害に大きな差があるため、被害が少なかった地域を基準にすると、被害のあった他の県と比較するとたいしたことがないように思われがちなようだ。
「計画停電二日目」の記事でも書いたが、私が茨城にいた間、茨城県は地震の多い地域で、研究所や火力発電所、原子力施設などもあるため、防災意識も高く、小さなことではあまり動じない「たくましさ」、「のんきさ」を、地元人たちに感じていた。
そして、この土地の生産性の高さと強さを、誇りにしている人がとても多かった。
物流が途絶えている理由の一つに、茨城県北部と福島県南部は、福島の原子力発電所の事故現場に近いため、放射能の危険があるという疑いをもたれているらしい。
政府は、この地域はまだ放射能の直接的影響はないとしている。
現場で活動している消防庁の人たちも、現場から半径30kmのところに作業拠点を設けているが、その理由として放射能の防御の必要がないとされる地域であるからとしている。
11年前の東海村の原子力施設の事故のとき、私たちは事故現場から40kmという微妙な距離にあるつくば市にいた。
ほとんど正確な情報が入らない中で、そこを離れられない状態にいた。
離れようと思えばできただろうが、少なくとも私の周辺にいた地元の人たちは、必要以上にあわてる様子はなかった。
最初はパニックになっていた私も、地元の人たちがあまりにも「のんき」にしているので、一人であわてているのがばからしくなったのを覚えている。
東海村の原子力事故のレベルは4で、今回の福島の事故はレベル5。
東海村の事故だって、6人の死者を出し、楽観視できるような事態ではなかったのだ。
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