◇知らない町
2009-11-28



より大きな地図で 帯広駅前地図2009 を表示
帯広駅前の現在地図。私がいた場所と父がいたらしい場所
私がいた場所は★、父がいた場所は車のマーク


北海道帯広市は私の生まれた町なのだが、今はまち中よりも郊外の方がにぎわっており、「まち」と呼ばれた繁華街は、昼間は20年前の面影もなくなっていることは、このブログを始めた最初の方でさんざん書いた。

ブログを初めてから何度か帰省し、母の車で運転して移動することも多いのだが、新しくできた道がわからず、自分が今どこにいるのかわからなくなることがある。
東西南北がわかればだいたいの位置を推測することはできるのだが、なぜここの道を走ると、この場所に出るのだろうと、点と点が結びつかない。
カーナビでもあれば別だが、ふだんよその土地に行かないような両親には不要なので、そんなものはついていない。

今回、初めて飛行機ではなく汽車で帯広入りするということになったのだが、駅に迎えに来てくれた父が実は方向音痴であることを初めて知った。
駅に到着してすぐに、携帯に父から電話が入り、今どこにいるのかと聞くと、「ロータリーのある方、駅の西の北側だ」という。
帯広の駅には、西の北口、東の北口、西の南口、東の南口がある。
北口は東西どちらも、古い繁華街に出ることになる。私にとっては馴染みの街並みだが、今の帯広の人にとってはあまり利用しない方向らしい。
私は、昔の出口の方が私がわかりやすいので、父が気を使ってくれたのだと思った。
そして「昔の二条通りの方ね」と聞くと、父は「そうだ」と答えた。

しかし、その出口に出ても父の車は見当たらない。
目の前には昔からある駅のロータリーが東西に広がっているが、そこにはタクシーしかいないのだ。
もう一度父に電話し現在地を聞くと、「十勝バス(昔、西の北口正面にあった)の方じゃない。西の南口だ」という。
南口は現在の栄えている方である。目の前には長崎屋があったりする。
しかし、父の車らしいものは見当たらない。

実は父はそのとき、東の南口にいたのだ。
東の南口には新しい駅のロータリーがあり、そこで待っていたらしいのだが、私にはそんなことはわからない。タクシーロータリーがあるのには気づいたが、そこが一般車が入場できるものなのかどうかもわからない。
その上、父がいるはずの「東の南口」という出口の名前は、父からは一切でてこなかった。
なんだか新しいホテルの名前(ノースランドホテルか?)を言ってはいたが、私の知らないホテルなので「そんな名前のホテルは知らない」と答えるしかなかった。
私の中では、「東側は人のあまり行かないところ」というイメージしかなかったからだ。

日はとっくに暮れているし、雨が降ってきて寒くなってきている。
駅の構内にいたほうが雨風はしのげるが、それでは父がどこにいるかわからないので、仕方なく長崎屋のまん前の交差点で待つことにする。

携帯で父が今どこにいるのかを聞くと、逆に私がどこにいるのか聞かれたので
「長崎屋と駅の間の交差点の駅側にいる。“正面”に長崎屋がある」と答えた。
目の前にとかちプラザがあるかと聞かれたが、目の前のビルがそういう名前のものかどうかがわからないのでそう答えると、「なんでわからないんだ」と言われる。
でも、わからないものはわからない。そんなビル、私のいた頃には存在していなかったんだし。
うんと首をあげてみると、とかちプラザという看板によってその名前を確認できたのは、「とかちプラザ」というビルの存在を知ってから10分後のことであった。

雨の中でたたずみながら、こんなに帯広は知らない町になったのだと思った。
私のいた頃は、駅の南側は「駅裏」と呼んでいたくらいで、何もないところだった。

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