2009-11-20
禺画像]
帯広美術館前の坂から見た、雑木林越しの夕日
4年ぶりの帰省は、一人旅だった。
特別帰らないことを意識していたわけではなかったが、飼い猫が21歳(人間の歳だと100歳らしい)になり、今までのように家で留守番させるのが困難な状況が続いているため、帰る理由もみつからないまま4年が過ぎた感じだった。
気が付けば4年だったのである。
今回の帰省の理由としては、今年に入り親戚に不幸が続いたのがきっかけだった。
旦那と一緒に帰りたかったが、仕事の都合がつかないのと、猫を一人にはできないので一人で帰ることにしたのだ。
4年前にも一度一人で帰省したときに、釧路に行こうと思っていて行けなかったことがあった。
せっかくなので、帯広に行く前に釧路の叔母のところに行くことにした。そして、これが初めての小さな一人旅になった。
釧路空港へ降りる頃には、北海道の大地はすでに闇の中だった。
気流が悪く、数回旋回した後10分遅れで着陸したので、釧路市街への阿寒バスは時間ぎりぎりだった。
外は風が強く、バスの中にいても肌寒い。旅行かばんの中にコートを入れていたのだが、大きな荷物は一番の座席に置くよう指示され、私は一番後ろの座席にいたので、コートを出すことができない。
釧路空港を出たばかりの道は、街灯もまばらで真の闇が広がっているようで、久しぶりにこういう闇を見た気がした。
つくばにいる頃も、ちょっと中心地から離れた裏道を走ると、やぶから何か出そうな生ぬるい闇が続くのだが、北海道の初冬の闇は何もかも凍りつかせてしまうような冷ややかさがあり、何も気配がないのがかえって怖いような気がしたのを思い出す。
昔はわざとこういう闇の中にいて、感覚を研ぎ澄ましているのが好きだった。どこまでも続く闇は、どこにも向かっていないようで、不安な気分になる。それらの感覚は、今は求めても得ることができない。しかし、その片鱗でも思い出すことができたことにちょっとだけ驚く。
バスの終点で叔母に会い、ホテルで食事をして、叔母の家に着く。
私の記憶にある家より新しいので聞くと、叔父が亡くなる数年前にリフォームしたとのこと。私はそんなことも知らずにいた。
8時すぎに、思いがけず従姉妹が会いに来てくれた。彼女と会うのも、彼女の父親が亡くなって以来のこと。今回の帰省で、彼女の母親のお見舞いに行く予定をしているので、そのお礼に来てくれたのだ。
その日は、従姉妹が帰った後も叔母とあれこれ尽きない話をして、2時近くなってから眠った。
次の日は、叔母と二人で釧路市立博物館の展示を見に行く。こじんまりしていて、良い博物館だ。
昔は、博物館のすぐ近くにあった科学館に、叔母によく連れてきてもらった。今はその科学館は移設されて、昔の建物は今は利用されていないらしい。
博物館の内部は、螺旋階段を中心にこじんまりとした展示がなされている。
4階が釧路湿原とアイヌ「サコロベ」の展示。
釧路湿原のパノラマルームの展示が、天井がドームになっているので本当に湿原に立っているかのような気分になる。アイヌの展示もまとまっていて、阿寒だけでなく釧路周辺のアイヌの出土品や個人のコレクションの寄贈などを展示してある。
3階がなく2階が釧路の先代史の展示。ここでは、叔母が昔実際にこういう道具を使っていたと、展示してある道具について説明をしてくれた。
そして、1階は釧路の自然の展示。マンモスの標本や、北海道の大地に生きる生き物や植物などを紹介している。
その後、駅前に移動して釧路の市場で遅い昼食を取る。
市場で珍味を買いたかったが、なんとなく食指が伸びない。
夕方のタイムセール中というのに、建物の中は人気がまばらで活気がない。
思えば、釧路の駅前も人気がまばらで、シャッターが閉まるお店も多い。ここでも商店街の人離れが止まらないのだと言う。
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