2007-05-17
外国人の人と日本語で話していると、たまに面食らうことがある。
私の文章を見てもわかると思うが、私は話の主要なものを最後にもってくるタチである。簡潔にすればいいとはわかっていても、これも説明した方がいいとかいろいろ考えると、つい長くなってしまう悪い癖なのだ。
文章なら最後まで読む時間があれば、話の内容はおのずと理解してもらえるにしても、話すときもこうだと話を最後まで聞いてもらえず、結局いいたいことがきちんと伝わらないということがままある。
外国人に限らず日本人でもせっかちな人だと、話半分に聞いてとんちんかんな誤解をしてしまう人もいたりする。一度誤解されてしまうと、その誤解を解くのがまた面倒だったりして、どうでもいい話の場合はそのままやりすごすこともある。
こういうことがないように、話すときは簡潔に頭の中で整理してから話せばいいのだろうが、昔からなかなかこれが直らなかったりする。
話している相手の母国語、あるいは日本語以外の共通語で話すときは、私があまりにもつたない語学力しか持ち合わせていないため、相手も最後までゆっくり話を聞いてくれることが多い(あるいは、話が通じない相手とみなされ、最初から相手にされないかのどちらか)。
最初に「外国人と話すとき」と断ったのは、英語を初めとする多くの外国語は、話の要になる言葉が文章のわりと最初の方に出てくることが多いので、話を最後まで聞かなくてもある程度理解できることが多いのに対して、日本語は主要な事柄が後の方ににくる場合が多いためなのではないかと思う。
外国人の人と話すときは、できるだけ話を簡潔にするよう特に心がけるようにはしているが、人によってはなかなか主旨が伝わらない場合もある。
これはたぶん、私も日本語で話している安心感から、相手の話を最後まで理解しないうちに判断して話しているせいもあるのかもしれないと、最近思うようになった。
そうなると、日本人と話しているときも相手の話を最後まできちんと聞かずに、自分の話を話し出してしまっているのかもしれないと危惧してしまう。
反省しなければならないことは沢山あるなあと改めて思うと共に、他人とのコミュニケーションはいくつになっても難しいと痛感する。
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