◇アイヌ民族への差別に思うこと
2006-07-04


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アイヌ民族の口琴「ムックリ」


今回の旅の目的の一つに、アイヌの文化を閲覧できる博物館に行くというのがあった。
私が小学校の頃、クラスにアイヌ出身の子が数人いたが、アイヌであるという理由でいじめられていた。私はそれまでアイヌ民族の存在を知らなかったので、小学校一年生にして初めてアイヌの人たちと接したわけだが、何故いじめの対象になっていたのか判らなかった。ただ、子供の多くがそうであるように、私も他の人と同じようにアイヌの人たちを差別の目で見てきたことは確かなのだ。

私が北海道を離れる前に、私の祖父母が何故北海道に入植してきたかという話を、今は亡き母方の祖父から聞いた。
戦時中の苦しい生活の中で、産まれた土地を捨て北海道に新天地を求めて移住した話は、私は大変良い話のように思えたが、その時は北海道に移住した多くの入植者のためにアイヌの人たちが土地を奪われたということと結び付けて考えることができなかった。

北海道を離れて生活するうちに、口琴という楽器に出会い、以来口琴関係の仕事や人付き合いが多くなってきた。そして、日本ではアイヌ民族が口琴文化を持っていることもあり、アイヌ民族の人たちとも交流を持つようになってきた。

以前、茨城県つくば市に在住していたとき、筑波大学の先生がアイヌ民族の文化を学ぶイベントを開いたときに私も多少お手伝いをしたのだが、北海道札幌市在住のSさんというアイヌ出身の方が世話係として招かれていた。
Sさんは私が小学校1年生〓3年生の頃同じクラスだった男子と同じ名前だったため、それとなく出身を聞いてみると帯広であると言う。しかし出身の小学校を聞いてみると、私の出た小学校とは違うというのだが、話を聞くにつけSさんは同じクラスのS君と同一人物であるとしか思えなかった。しかしSさんはそれは頑なに否定し、そして「あなたの住んでいた地域は、帯広の中でも差別がひどい地域なんですよ」と言った。
S君は学年では唯一のアイヌ出身の男子だったため、女子からも男子からも手酷い差別を受けていたのを思い出した。他のアイヌ出身の人たちよりも、よりアイヌらしい顔だちをしていたせいもあるのだろうと思う。
彼も幼いながら抵抗はしていたようで、フォークダンスの時にわざと鼻くそをほじって手につけていたりするので、よけい女子からは無視されていた。たまに遊びに誘ったりすると大変楽しそうにしていたことを考えると、本来はとても明るい少年だったのだろう。
しかし、彼の小学校時代の多くは差別との戦いの日々だったのだろうと思う。いくらアイヌ文化をみんなに知ってもらうイベントの付き添いであったとしても、突然出現した小学校時代の同級生と会って、昔の思い出を語り合うというわけにはいかなかったのだろう。

その時のことで、私は少なからずショックを受けた。
物の判断が狭かった時期のことであったとしても、自分が差別の目で見てきた人たちのこと。そして、直接的ではないにしろ、私達の祖先が国の政策により北海道へ入植したことで、アイヌ民族全体が民族の危機に陥り、大変辛い差別との戦いを強いられていたこと。
小学校の時には、北海道開拓や屯田兵、入植者の生活のことなどは郷土史の勉強として習ったが、アイヌの人たちがそのことでどういう生活を強いられることになったなどは、ほんの少し触れる程度でしかなかった。
学校のバス学習などでも阿寒湖に行って、バスの中でアイヌの歌を歌い、アイヌ民族の文化に触れるというイベントがいくつかあったが、本当の意味でのアイヌの人たちの生活にはまるで触れていなかったことも知った。


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