2006-06-02
帯広の繁華街のど真ん中に、フードセンターというスーパーマーケットがある。
通りをはさんだ向いがわにも同じような規模のスーパーマーケットがあり、1985年頃ではめずらしく夜中まで営業していた。
当時の帯広には、コンビニエンスストアというものは存在しておらず、市内でも24時間営業している店は郊外に2件ほどしかなかった。
1985年のある日、帯広市民会館に戸川純さんのコンサートが行われた。「好き好き大好き」ツアーだったと思う。
当時の市民会館の関係者出入口は、一般でも簡単にいける場所にあったため、コンサートに出向いた人の多くは、コンサート終了後出待ちするためそこにたむろしていたが、私と友人Kはそのままカラオケかどこかに行ってしまった。
時間は12時近かっただろうか。
私たちはお腹がすいていたけど、お金もなかったので、白飯と桃屋のザーサイを買って帰って食べようということで、フードセンターに向かった。白飯に桃屋のザーサイは、当時貧乏だった私たちのごちそうでもあった。
惣菜コーナーでふとふりかえると、見たような顔の男性が通り過ぎる。
あっちにももう一人。
当時の戸川純さんのバックバンドであったヤプーズのメンバーがうろうろしているのだ。
私たちがじっと彼らを凝視していると、泉水敏郎さんが通り過ぎ、吉川洋一郎さんが「なんなんだ?」と戸惑った顔をしてそそくさとその場を立ち去っていった。
私たちは惣菜コーナーの前で、白飯を片手に抱えて振り返りざまに彼らを見ていたので、その様子は異様なものだったのかもしれない。
「純ちゃんが買い物に来ているはずだ」
そう確信した私たちは、パンフレットにサインをしてもらおうと「マジック! マジック!」と叫ぶと、惣菜コーナーのおじさんがすっとマジックを差し出してくれた。
そのかっこよさは、今でも後光がさしている印象で記憶に残っている。
歯ブラシ売り場で戸川純さんが歯ブラシを抱えているのを見つけ、私たちはその日のコンサートのパンフレットにサインをしてもらった。
戸川純さんの指にゴールドのマニキュアが輝いていたのを、今でもはっきりと覚えている。
翌日、コンサートに行って出待ちをした別の友人に話を聞くと、出待ちしていたけど結局会えなかったのだという。
私たちはなんと幸運だったのだろうか。
そして、マジックを貸してくれた惣菜コーナーのおじさんには、感謝しても感謝しきれない。
なぜなら、そのときマジックを買っていたら、私たちは桃屋のザーサイが買えず、おかずなしの白飯を食べなければならなかったからだ。
今でもそのときのパンフレットとコンサートチケットは、私の宝物だ。
※修正20100617
その後、このお店はフードセンターではなく、向かいのフクハラであることが判明。
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