2017-11-21
亡くなった彼女が生きていたらどうだったろうと思うけれど、卒業してからの彼女は私が帯広を出ることを全力で反対していたので、彼女が生きていたら関東にいる私も存在しなかったかもしれない。
彼女が亡くなって、やりたいことをやらない人生など考えられなかったから行動したのだから。
もしも今クラス会に誘われたら、交通費を払ってでも出席するかどうか悩むだろうなとも思う。
でも、私の高校の思い出の中で、やはり亡くなった友達のことをなしにすることはできないので、今更亡くなったクラスメイトのことを話しにクラス会に出席するのも、どうなんだろうと思ったりする。
クラスの中で私よりもクラスに馴染めなかった彼女が、生きていてもクラス会に出席するなど考えられないので、たぶん死んでからダシにされて思い出話をされるのは嫌だろうなと思ったりする。
私自身についても、楽しかった思い出と一緒に、むかつく思い出も同じくらい思い出すので、やっぱり私はいなかったものとして扱われて正解なのかもしれないと自分を納得させてみる。
そういえば、多少名前の知られた音楽家の友人が、50過ぎて一度も高校のクラス会に誘われないと言っていたのを思い出す。
もっとも、彼は高校の友人達とバンドを組んでデビューしたのだから、世界の違ってしまったクラスメイトよりは、同じ世界のクラスメイトといるほうが自然なのだろうけど。
私も友達の死と上京によって、クラスメイトとは違う世界にいるのかもしれないなと、彼の言葉の中で少し考えたりする。
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