◇帯広の砂糖の話

コメント(全2件)
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ねこん ― 2012-10-04 11:33
帯広市旅館組合の記念誌を読むと帯広の闇市では、砂糖が一番価値があって、たいていの物と交換できたのだそうです。だから「砂糖」=「富の象徴」のような意識ができて、それがお菓子文化の発達にも働き掛けたのかもしれませんね。
ちなみに私のおじいちゃんが、トマトも納豆も砂糖で食べる人でした。
makura ― 2012-10-08 23:58
ねこんさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

帯広に限らず、砂糖は昔は黄金と取引されていたくらい高価なものだったらしいですよ。
特に、戦中戦後に入植してきた人も多いので、日本中が甘いものに飢えていた中、砂糖を作る技術があるというのは、すごいことだったと思います。
私の母の一家は母が5歳くらいの頃帯広に入植したそうですが、母は昔砂糖が高価だったので、麦の穂をかじって甘味を楽しんでいたと話していました。
そこから考えると、砂糖をまぶした洋菓子というのは、ものすごい高級感漂うものだったのでしょうね。
でも、やっぱり私はあれが「好き」だった記憶がないのが残念です。

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