◇悲しき60歳 / 坂本 九
2010-08-19



坂本九 「悲しき60歳・ズンタタッタ・カレンダーガール」


終戦65年。日航墜落事故から25年。
8月に入ってテレビやラジオでは、戦争や日航墜落事故関連の番組が目白押しだった。
終戦の年にはまだ産まれておらず、私たちの世代は「戦争を知らない子供たち」と呼ばれたものだったが、日航墜落事故は記憶にはっきり残っている。

このニュースが流れたときに、一番衝撃だったのは、歌手の坂本 九が犠牲者の一人であったことだった。
乗客のほとんどが身体がばらばらになって誰のものであるか判別がつかない状況の中で、信仰していた笠間稲荷のアクセサリーによって、坂本 九の遺体であることが判ったというニュースが、大変印象に残っている。
当時私は20歳になるかならないかという時期であったが、自分がそういう状況に遭遇した際、家族は何で私だと判断できるのだろうかと考えたのを覚えている。

テレビでは、わりと“今だから判明した事実”的な番組が多かったのに対し、ラジオでは改めて坂本 九の楽曲を楽しんで追悼しようという番組を耳にした。
時期的にお盆とも重なるので、音楽で追悼するというのは理にかなったものであるのだろうか。
車で移動中にカーラジオから聞こえる坂本九の歌声は、「上を向いて歩こう」「ジェンカ」「素敵なタイミング」というおなじみの選曲の中で、「悲しき六十歳」という曲に興味をひかれた。

この曲は1960年の楽曲で、坂本 九の初ヒットシングルらしい。
トルコの「ムスターファ」という曲のカバーで、歌詞はオリジナルの男性からの恋歌的な内容とはかけ離れ、日本語歌詞は「ムスターファという男が見初めた女性が奴隷だったことから、お金のないムスターファが一念発起し、トルコ一の大金持ちになる」という歌詞である。しかし、ムスターフアが奴隷を買えるような身分になったとき、彼女はすでに六十歳になっていたというオチもついている。
作詞は青島 幸夫。日本語歌詞はオリジナルのものらしい。

“悲しき○○”というのは、「悲しき雨音(カスケーズ)」「悲しき鉄道員(ショッキングブルー)」「悲しきハート(弘田 三枝子)」など、当時の曲名にはよく用いられいたような印象を受ける。

この「悲しき六十歳」、特に印象的なのは「ヤー ムスターファ」という歌詞である。
たぶん「俺の名前はムスターファ」というような意味なのだろうと思うのだが、この一人称がなぜ「ヤー」なのか。
「ヤー」を「私」という言語は、単純に考えるとロシア語ではないかと思うのだ。
それとも、この「ヤー」は「私」という意味ではないのか。

トルコ語で「私」は「ben」である。
また、トルコ語で「私の名前は○○」というようなときには、「アドゥム ○○(アドゥムの「ゥ」はトルコ語特有のアルファベット)」とか「ismim ○○」と言うと、私のトルコ語のガイドブックには書いてある。
ロシア語でも「私の名前は○○」という場合は、「ミニャーサヴート ○○」を使い、これらは「私を○○と呼んでください」という意味にあたるので、たぶんトルコ語もそういった意味に近いのではないだろうか。
英語で言うと、「My name is ○○」ではなく「Please call me ○○」に近い感覚らしい。

察するに、青島幸夫は「トルコという遠い国の言葉はよくわからないけど、英語とは違う言葉だとちょっと英語圏とは違うように聞こえるかも」くらいに使ったような気がしてならない。
たまたま知っていたのがロシア語の「私」である「ヤー」だったのかもしれない。
また、あの辺は旧ソ連のスラブ地域とも隣接していて、いろいろと入り乱れていたのかもしれない。

いずれにしても、この「ヤー ムスターファ」という言葉がとても印象的なのに、どうもこの言葉はトルコ語ではないようだというのが、国際化していない昔の日本の適当さを垣間見るような気がして、ちょっと脱力してしまうところなのだ。


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