◇猫介護生活
2010-06-06


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子供を育てた経験のない私は、ふと「子育てってこんな感じなのかしら」と思うのだが、子育てなら子供の成長が楽しみなのにうちの猫はそうではない。
どんどんと弱っていく姿を見ながら、近い将来に確実に来るであろうその日が今日か明日かと思いながら介護している。
しかも、猫の時間は人間の4倍。三ヶ月に一つ歳を取る計算なので、今年の春からは確実に一つ歳をとっていることになる。

野生の状態や野良であれば、ひとりでご飯を食べられない状態は確実に死につながる。
そんな中で、これまでの3倍量の食事を要求するということは、体がそれだけ食べないと維持できない状態であるということだろう。人から食事を与えられることで、他の猫よりもずっと長生きできることを、うちの猫は知っているのではないかと思うこともある。
年寄りが突然大食らいになったとか、転びやすくなったとか、失禁だとか、徘徊だとか、うちの猫を見ているとそれはそのまま人間の老いをハイスピードで見ているような気持ちにもなって、とても切ない。

先日、危篤かと思われる状態になったが、ご飯を水でといたものをスポイトで食べさせ、病院で栄養剤を打ってもらったときには「三日続けて栄養点滴して、だめなようなら諦めるとき」と言われたのだが、一回の注射でほぼ回復し、次の日注射を受けにいった獣医師を驚かせた(うちの猫はこの獣医師が嫌いで、この獣医師による再三の危篤勧告に反発するように復帰を遂げている)。
うちの猫の「ぎりぎりまで生きてやる」という根性には、本当に脱帽する思いであり23年生活を共にしてきた飼い主としては感謝したい気持ちであり、時には励まされることもある。
しかし、それでもこれまでよりは確実に弱ってきているのを実感する。

今年の夏で23歳。
介護が必要になり、今が一番飼い主との意思の疎通があるのではないかと思う。
人間の言っていることは確実に理解しているとはっきり感じるし、時には念を送ってきているような気がすることがある。
電話などで他人に「うちの猫ももう歳だから」などと話すのを聞いて、抗議してくるのは歳をとっても女心か。
猫が100歳になると、しっぽが二つにわかれて猫又になるというが、それは猫の年齢のことでなのか人の年齢でのことなのか。

しかし、猫介護に精神的にもかなり疲れ気味なのも事実で、パン屋のおやじ(年下)はもうちょっと遠慮というものを知らないといけないと思う今日この頃である。

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