◇街中でころぶ
2006-10-28


今日、久しぶりに神田神保町に行った。
東京に出てきたばかりの頃は、学校が御茶ノ水〜水道橋にあったし、就職も神保町〜九段下に会社があったので、神保町の古書店街にはよく足を運んだ。
神保町に行ったのは、ある催しの手伝いをするためで、時間があれば街中をぶらぶらしたかったのだが、あいにく時間がなかったので露店を横目に素通りせざるをえないのが心残りだったのだ。

準備が一段落し、朝から何も食べていないことに気づいたので、時間までの間に腹ごしらえするために、手伝いの大学生と二人で街に出ることにしたのだ。
外に出るとき、会場の細い外階段の手すりにチラシを貼り付けることを頼まれたので、階段から降りたときにはそのことしか頭になかったのがいけなかった。階段を降りきったところから道路までは、更に段になっていたのにまったく気づかなかったのだ。
チラシを貼り終え、いざ腹ごしらえに向かおうと道路に足を踏み出したとき、15cmくらいはあるだろう段差を私は踏み外し、そのまま道路にばんざいの形で腹からダイブしてしまったのだ。
ダイブした先の道は車の通らない細い路地で、人の通りもあまりなかったので、他人に被害を及ぼすようなことはなかったのだが、一緒にいた大学生はものすごくびっくりした様子で、一瞬声をかけられなかったらしい(そりゃそうだろうw)。

それにしても、道で転ぶというのは何年ぶりのことだろうか。
十数年前、四ツ谷のど真ん中の何もないところですっ転び、靴を数メートル先まで飛ばしたこともある。犬の散歩をしていたおばさんが心配そうに近寄ってきたが、そのときは靭帯を損傷し、すぐには立ち上がれなかったので犬にべろべろと傷口をなめられた記憶がある。そして、そのまま片足をひきずりながら血まみれで得意先に原稿を届けにいったのだ。

バスから降りようとしたときに、タラップを踏み外してそのまま停留所に落ちたこともある。落ちたときはショックだったが、その後ひざにでかいかさぶたができて、ちょっと嬉しく思った。かさぶたの原因は痛いが、かさぶたができるとそれをはがすときにちょっとわくわくしたりする。そのかさぶたがはがれた後、旦那に電子顕微鏡で画像をとってもらい、かさぶたの構造を確認した。

今回転んだときは、無意識のうちにばんざいをして身体をそらしていたため、胸と腹とひざを少しうっただけでたいして痛みも感じなかったが、痛みは後から二の腕と手首とうったひざにでてきた。
目撃していた大学生の話では、うまくカバーをして転んでいたとのことだったが、自分が転んだときのことを想像すると、ますむらひろしのアタゴオルに出てくるヒデヨシが高いところから落ちる姿と同じなのではないかと思ったりして、無駄についてるようなぜい肉でも、こんなときには役にたつこともあるのだと、ちょっと恥ずかしくもしみじみしたりした。
[日常]

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