◇十勝の風景
2006-07-29


禺画像]
北海道の風景の夏のイメージとしては、広大な牧草地に青い空とかそういったものがあると思うが、十勝の風景は北海道の風景そのものだと思う。
十勝に限らず、牧草地だとか畑が延々と続く風景は、北海道の郊外であればどこにでもあるが、十勝の空はいつまでも眺めていてあきない。
十数年前のAERA(朝日新聞社)に、十勝という土地は晴れが大変多い土地だという記事が載っていた。私が子供の頃は、確かに長雨といっても数日降るのがせいぜいで、数週間も晴れのない日が続くことは考えられなかった。最近では、気象の変化のせいか、長く晴れがない日もあるようだが、十勝の晴れの日は空が広く広がっていて、雲がさまざまな時間帯で色々な表情を見せてくれる。
自分の生まれた土地の風景であれば、誰でもそう思うのかもしれないが、十勝の晴れの風景は特別なのだと思っているのだ。

帰省したときは、帯広市内から空港までの間に続く田園風景を眺めていくのだが、ここの景色が私はとても好きだ。
なだらかに広がる丘陵地帯には畑が延々と続き、道をはさんだ反対側には広く畑が広がり、遠くには日高山脈が見える。
春の夜であれば、凍る月の光が青く落ちてきて、しんとした暗闇からきしきしとどこからともなく聞こえる音は、月光の音のようにさえ感じる。
夏の夕刻であれば、低い場所にある雲がその影を落としている。
秋の日暮れには、日高山脈がどこまでも赤く照らし出され、東の空には大きな月が顔を出している。
冬の朝には、延々と続く白い大地に湯気が立ち篭めている。

上京した当時は、東京の大きさを新鮮にも感じたが、空の狭さと空気の汚さには辟易し、半年で身体の具合が悪くなった。澄んだ帯広の空気が懐かしく思った。
今では、帯広の人にとって私は「内地の人」あるいは「東京の人」(帯広の人に限らないかもしれないが、東京近郊に住んでいる人のことを帯広の人は「東京の人」という呼び方をする)であり、すでにここは私のいた場所であっても、私のいる場所ではないのだとつくづく感じてしまうのだが、この景色を見ると、今でも自分は風に吹かれてここに立っているような感覚に襲われてしまう。
[北海道]

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